虐待などで保護の必要な子どもが増え、東京や大阪などの児童養護施設では定員を超えた子どもの入所を特例で認めざるを得なくなっていることが分かった。ただでさえ日本の児童養護施設は狭くて職員も少ないと指摘されてきた。被虐待児など専門の心理的ケアが必要な子どもも増え、現場からは悲鳴が上がっている。
少子化時代と言われている陰で、虐待などによる要保護児童が増えているというニュース。今まで気づかなかったけれど、少子化の本当の恐ろしさは、子どもが減るという(ある意味)見た目の問題にあるのではなく、むしろそれに伴って、子どもを「正しく」育てられる大人が少なくなることにあるんじゃないだろうか(とっくに言及されているかもしれないが…)。
経験の継受が乏しくなっていくことほど恐ろしいことはない。「正しい」子育て知識の存廃が、数多の伝統的技術や行事の「引き継ぎ問題」と同じように取り沙汰される日がくるのではないか。施設の拡大や職員の充実、保護児童の進学率向上などはもちろん早急に図られるべきではあるけれど、それはあくまでも現実的次善的であるべき(充実しましたこれで大丈夫です、ではいけない)。将来的本質的に必要なのは、「虐待などもってのほか」と考えることのできる「有能な」大人を育て増やすことではないだろうか。
Quot : http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070123-00000513-yom-soci
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まず人生の半分をあきらめないとやってけないのが現状ですよ
コメントありがとうございます。
大人が諦めるのか子どもが諦めるのかというのが読み取れませんが…どちらにせよ、諦めると言う表現はあまりに限定的ですね。変えられない現実が例えあるとしても、それを「諦め」で受け止めるのか、前向きに受け止めるかというのは、ひとえに気持ちの問題です。気持ちの問題などと、傍から言うべきではないかもしれませんが、諦めないとやっていけないと言い切ってしまうのも適切ではないような気がします。
これから先の人生が長いにしろ短いにしろ、良きにせよ悪きにせよ、自分にも他人にも、どうなるのかなんてわかりませんから。(すみません、よくわからないお返事になってしまいました)
あの〜二人に質問なんですけど
「諦める」ってどいう事なんですか??
二人が言っている事は綺麗事にすぎないと俺は思います
コメントありがとうございます。
ここで「諦める」とは、現状を打破することを考えず、そのまま受け入れるという意味でしょうか。最初のコメント主さんの真意までは、すみませんが私には答えられません。
ところで、何をどう以って「綺麗事」とおっしゃっているのでしょう。私の意見が実情にそぐわない絵空事だという意味で「綺麗事」だというのであれば、それこそ私の言う「諦める」ということです。
そしてあなたが「綺麗事」だという私の意見は、決して実現が不可能な絵空事ではなく、努力でどうにか出来る(しなければいけない)ことだと思っています。
「綺麗事を言うな」というセリフはよく聞きますが、私には実現させる努力を放棄しているようにしか聞こえません。



