唐突ですが、もし好みの女性のタイプを聞かれて、
「女性は控えめの方がいい」
と答えると、どういう反応をされるのでしょうね。やはり今時の女性には、受けが悪いのでしょうか。その場合、こちらとしてはただ「好み」を言っているだけでも、おそらくは「女はそうあるべきだ」という考えを含んでいると思われてしまうのでしょうね。
そこで今一度、「(昔からの)女性らしさ」を求めることの根拠と正当性を、男女平等や男女差別に絡めながら自分の意見をまとめておこうと思います(こんなところに「言い訳」を書いたところで仕方ないですが…)。
なお基本的に(このサイトは全体的にそうですが)、今回は特に女性からの反論は大歓迎です(文章の矛盾や言葉尻を捕らえるだけの"反論"は御免蒙りますが…)。
▼女は男より弱い
大前提として、女は男より弱い、これはまずほぼ真実だと思っています。身体的にもそうですし、精神的にもその場合が多いでしょう。
「最近は情けない男も多い」
という意見はもっともですが、それは「男は強くあるべき」だということの裏返しでしょうし、若干飛躍があるかもしれませんが、「男は女よりも強い」というのが真実である"べき"だと認識されている証拠なのではないでしょうか(弱くて当たり前なら誰もそんなことは言わない)。
▼男女差別とは
ところで、男女差別とはなんなのでしょう。それは男女を不当に差別することですよね。仕事であれば、他に理由も無く女だから給料が安いだとか、他に理由もなく女だから大事な仕事を任せられない、といったものが男女差別とされるでしょう。家庭であれば、家事負担の比率などがよく言われますね。
ですが、それをどうにかしよう、克服しようとしたとき、男はそれに対して手を差し伸べるべきなのでしょうか?何らかの譲歩をすべきなのでしょうか?
もし「女は男より弱い」という前提がないのだとしたら、答えは、否です。わざわざ男(男社会)が、"対等"な立場にあるはずの相手にそんなことをする必要はないですよね。自分たちで解決していけばいいのですから。社会的弱者とされる障害を持った人たちのように、明らかなハンディキャップを持つわけでもないですし、何より全人類の半分もの数がいるわけですから("戦う"には十分な数です)。あらゆる競争において、勝者が全ての敗者にいちいち手を差し伸べていては、進化は望めないでしょう。
▼男女平等とは
しかしもし「女は男より弱い」という前提があるとしたら、男女平等が叫ばれるのは自然の流れということになります。女は弱い、だから男(男社会)が譲歩して手を差し伸べてやるべきだ、という理論です。そしてその前提は、男女平等が実現したあとも引き続き、そこにあることが必要です。
もしその前提が崩れ、男が女を「弱い者(それが許されうる者)」としてみることがなくなればどうなるでしょう。
男女平等の中で男の眼に映るのは、
「ただ単に体が華奢で、"なぜか"鍛えることを頑なに拒む者」
「ただ単に、精神的に弱く不安定な部分が多い者」
「月に一度は必ず、"謎の"不調を訴える厄介者」
となるでしょう。男女平等を実現するための前提として、「女は男より弱い」生き物だという認識は必要不可欠なものです。それをなくした平等は、ただの形式的平等に成り下がってしまいます。
▼相応しい姿
前述してきたとおり「女は男より弱い」という認識が真実であり、またそうあるべきだとしたら、女はどうあるべきなのでしょう(その仮定が真である場合においてのみ)。男がその前提をもとに女を護ろうとするのであれば、女には、護られる立場にある者として相応しい姿があるのではないでしょうか。
例えば働き始めて間もない新卒社員が、先輩を差し置いてプロジェクトのイニシアチブをとりたがる姿、というのは、その先輩の眼にはどのように映るでしょう。その能力に関わらず「生意気だ」と思うかもしれませんが、能力をきちんとみたとしても印象は同じでしょう。新卒社員が"使えない"のは、ほぼ真実です。
相応しい姿は、その人にとっても、またそれをみる人にとっても、自然で美しく見えます。そしてその姿に合わせた対応を採ろうという気にさせます。子どもは素直だから、親は子を育ててやろうと思うのでしょう(もし頭の中身が頑固親父だったら…)。
▼女性は控えめの方がいい
だから、「女性は控えめの方がいい」と思うのです。それが、女性が自身の姿を正しく認識した上での行動だからです。
もちろん、本当に「男より強い」という事実と認識を兼ね備えた女性であれば、男顔負け(差別的だと捉えられそうな表現ですが)の行動をとっていたとしても、それもまた美しい姿に見えるでしょう。ただ、その姿に、自己の事実と認識の矛盾を抱えたまま、憧れを抱きつつ日々を過ごす女性は、同じようにはいかないでしょうね。男がどう思うか、どう思うべきか以前に、自己の認識がそもそも間違っていては、幸せは掴めないでしょう。
▼結論と願い
誤解を招かないように再度書いておきますが、全ての女性が「控えめの方がいい」と断定しているわけではありません(あくまでも個人の好みです)。ただ単に、自身が「弱い」存在であるという事実があるのなら、それを正しく認識し、その事実に沿った姿をとって欲しいと願っているだけです。
女性の方と一緒にお仕事をさせてもらうとき(特にストレスを溜めた状態にあるとき)に感じる「影」というか「不安」というか…負のオーラの原因の一つが、そのあたりにあるような気がするのです(※助けなんていらないような顔をしながら泣いている)。単に、それをまず自分自身で払いのけようとしてみて欲しいだけです。
※ただ、その矛盾に「美」「女性らしさ」を感じるのもまた、真実ですね。とすればこの話は、それをさらに磨くための自身のあり方として、ということになるでしょうか。なんとも素人には難しい議論に手を出してしまっていますね…。
以上、偉そうに書いてみましたが…実は世の女性の殆どが、すでに認識・事実ともに「強い」存在になっていたらどうしましょう。「弱い男の最後の遠吠え」だの「男女差別の正当化」だの言われてしまいそうですね。さてはて。
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